平和とは
- isizeman
- 2024年12月9日
- 読了時間: 3分
平和とは何か。数限りなく、様々な人々によって議論されてきたテーマだが、大した結論は出ていない。人によって意味が違うからだ。贅沢な人もいれば、最低限のラインでも平和と言う人もいる。
外国と戦争をしていない状態は、最低限の平和だろう。国連も、この状態を平和と呼んでいる。PKO(平和維持活動)は戦争をしていた国々がまた戦争しないように軍同士を引き離すのが仕事だ。
内戦になっていない状態はいかがか。外国とは戦争していないものの、国内で武装組織が武力で権力争いをしていたら、それは平和じゃないだろう。という人もいるはずだ。外国と戦争がなく、内戦でもない、それが平和だ、というのは筋が通っている。
外国との戦争や内戦から立ち直りつつある世の中は平和だろうか。焼け野が原の中、犯罪者がのさばり、警察は犯罪組織とつるみ、食べ物もろくに売っていない荒んだ世の中では平和ではなかろう。
経済がある程度復旧し、人々は仕事にありつき、中流世帯には白物家電がいきわたったぐらいを平和と言えるだろうか。少々贅沢な平和にも見えるが、これぐらいでないと平和じゃない!という人もいることだろう。
経済力が先進国レベルに達し、中流世帯には、自動車や持ち家が当然!というのが平和の最終形態か?日本人にとってはこれが当たり前で、まるで贅沢なことではないが、だからといって2段落前に戻りたいとも思ってはいまい。
上記の4段落は、日本の戦後とリンクさせてある。
1段落目は、終戦である。外国との戦争は終わったが、連合国が日本政府の上に立つ状態で国内の権力は空白と言っても良い状態だった。
2段落目はサンフランシスコでの講和後、GHQ支配は終わり、日本は独立した。内戦ではないが、権力空白状態が終わったのはこの時期だ。
3段落目は、1950年代。講和後も続いた国内のドサクサが、独立した日本政府の手によって少しずつ解消しつつある時期が該当するだろう。
4段落目は、1960年代~70年代だろうか。三種の神器(モノクロテレビ、洗濯機、冷蔵庫)がある程度いきわたり、戦後の殺伐を少しずつ忘れ始めた時期だ。
5段落目は1980年代以降の日本だ。中流世帯はクルマも家も、当たり前に持つようになった。日本経済は目覚ましく成長し、日本円は国際決済通貨となり、日本は経済力で世界をリードした。
現代の日本が、自動車や持ち家どころか白物家電すら新品では買えず、怪しげな虞犯者がそこかしこをうろつく国になったら、その状態を平和と評する日本人はどれほどいるだろうか。
「嫌な世の中になったねぇ」と評する人はいても、「私は今平和を謳歌している!」と評する人は著しく少ないに違いない。
だが、ソマリアやガザで平和の意味を聞いたら、全く違う答えが返ってくるに違いない。平和とは、イスラエル軍が我が家を壊しに来ない状態、だとか、お店に強盗が来ない状態、だとか、食費の為に子供を売らなくて良い状態、とか。
答えは様々だろうが、クルマや家が普通に買えて、町には食べ物があふれている状態でも、日本人はたいしてありがたがっていないと聞いたら、きっと憤激するに違いない。そんなに贅沢な平和を享受しているのなら、せめて食糧援助でもしてくれ!と。
説教くさいことを言うつもりはない。ただ、ほんの少しだけで良いので、あなたの中での平和という言葉の意味について、考える時間を持って頂きたい。この文章を考えるきっかけとしていただければありがたい。ただそれだけである。
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